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母校自由学園最高学部が編集する雑誌「自由人」2002年秋 No.93
特集「国際協力をめぐって」掲載記事




 思慮深く、献身的な人々の小さな集まりがまさに世界を変えることができるのです。今まであったすべての変化はそのようにしてのみ起きたのです。
  マーガレット・ミード(文化人類学者)

<ハッティの捧げたもの> 
 1884年。アメリカはフィラデルフィアの小さな教会。その教会の外で少女ハッティ・メイ・ウィアットが泣いていました。聖書を子供達に教える日曜学校の教室が小さかった為に、その少女が中に入れなかったのです。その教会の牧師ラッセル・コンウェル氏は、彼女を見つけ抱きかかえては、近いうちに必ず子供たち全員が入れる教室を建てると約束し彼女を励まします。

 その2年後、そのハッティは亡くなります。しかし、彼女の小さな遺体をベットから移した時に、擦切れた小さな財布が見つかりました。中には57セント、そして彼女のぎこちない字で「これで小さな教会がいつか子供達皆が学べる大きな教室を建てるために用いられるように」と。

 ハッティの小さくても犠牲的な心に動かされた牧師は、教会員全員にこの少女の話しをし、皆が寄付金を集め、教会の拡張だけではなく、地域のために診療クリニックや職業訓練センターを設立しました。

. 1912年。コンウェル牧師は、少女ハッティが捧げたたったの57セントから始まった様々なプロジェクトを振り返ります。時を経て教会は大きく発展。彼らが建てたクリニックは街で最大の病院に。職業訓練センターは現在州で最大の教育機関であるテンプル大学に。 「ハッティの人生が私達にもたらした影響を考える時、この世の権威ある王や将軍でさえ成し得なかった偉業を達成した偉大な人物であったと思わざるを得ません。この世で取るに足らない、些細なことと思えることに、忠実に仕える時、それは神の目には大きな業へと繋がるのです。」

<小さな事から>
地球上の大部分の富を当然のように享受する先進諸国。貧困、環境破壊、民族紛争が絶えず、十分な食糧を得ることのできない発展途上と呼ばれるアジア・アフリカの国々。この不平等な世界に対して、何か出来ないのだろうか。所詮力のある政治家や巨大な国際機関の仕事で終わるのか。このハッティの小さな捧げ物からこの世の大きな祝福へと発展した話しを聞く時、普段感じている自分自身の無力さ、自分の小さな仕事と複雑な貧困問題の間に挟まれて感じる葛藤が、いつのまにか晴れるような気持ちになります。たったの57セントが数十年後にどのようなインパクトを人々にもたらすか、その当時はだれも想像は出来なかったでしょう。ましてや、ハッティ自身も小さな子供が捧げるコインが、その後の社会に与える影響など考えもできなかったでしょう。

私が学部を卒業して7年。その間、アフリカ、中米など合計5つの国をまたいで国際協力の働きに関わる中で、世界、そして社会の変化はまさに小さな、人の目にもつかないような起点から始まる、ということが私にとっての大きなテーマとなりつつあります。

<導き>
 1984、85年。エチオピア全体で大旱魃。およそ100万人の命が飢餓に瀕して犠牲になり、有名アーティストが"We are the World"などのキャンペーンソングを通して支援を募るなど、世界中がエチオピア救済の為にたちあがりました。ちょうど私が自由学園普通科に入学した時です。食べ物もなく、地面に転がる石ころを口にする痩せこけたエチオピアの子供のシーンに、私自身も驚いたものですが、当時はとにかく問題が大き過ぎるゆえに、自分には何もしてあげられない、精々献金するぐらいとしか考えていませんでした。その私が、後にエチオピアの地に遣わされるなど想像だにしなかったのは言うまでもありません。

 転機は学部2年の夏。開始してまだ3年目の学部ネパール植林キャンプ、そして現在私が所属する日本国際飢餓対策機構主催のインド・バングラデシュ・タイ・ワークツアーへの参加でした(その様子は学部在籍時に自由人へ寄稿)。無数に広がるスラム街、路上で死に絶えた人々、伐採された禿山。目にした事の無い光景に只圧倒されるばかり。インド・カルカッタにあるマザーテレサの施設で、住む家も面倒を看てくれる家族もなく街で死に行くだけの人々を介護するシスター達。彼女らの活動に何の意味があるのか?この疑問がずっと晴れずに帰国した数日後に、マザーテレサの言葉に触れました。

 「私達は神様の手に握られた平凡なペン。それがどんなペンであっても、神様はそれを十分に用いてすばらしい絵を描いてくださいます。」

 世界の貧困問題を前に、一人が出来ることは小さく、限られています。しかし、そんな小さな憐れみのある行動が、人間の理解を超えて世界を揺るがすこともできる。何の技術も無い自分だけども、何かできるのではないか。とりあえずは勉強して、ちゃんと儲ける仕事についたら貧しい人達に施しでも、としか考えていなかった自分に、新たな一歩が始まりました。不思議な導きでした。

<本当の変化、援助から協力へ>
 ひとりの友人からデンマークの民間援助団体を紹介され、学部卒業後にそのまま飛び出します。内戦終焉直後のモザンビークで崩壊した学校再建プロジェクト、南部アフリカ7カ国から集まったスタッフの為のトレーニングセンター管理運営。しかし、そこで貧しい農村地帯における農業の重要性に気づかされ、アメリカにて短期間の農業研修の後に、中米のニカラグアへ。実験農場設置、農家との情報交換、勉強会。肥沃な土地に豊かな気候が目の前にあるものの、様々な試みはなかなか結果を出しません。自分は本当に役に立っているのかと悶々とする中で、長年ニカラグアで奉仕をしてきた宣教師に出会い彼の言葉に励まされます。

 「たったの数年で結果を期待してはいけない。あなたが始めた活動が発展することではなく、そこにいる人々、そして自分が育っていくこと、変化していくことが大事なのです。」

 「変化」は犠牲を伴います。それは、自分自身の生活からも言えることです。貧困を克服するためのすばらしい技術があったとしても、それを受け入れて自分のものにするためには、自分の心を開き変える勇気が必要です。農業、環境保全、教育、保健衛生。多くの援助団体が様々なプログラムを通して、貧困に苦しむ人々のために働いています。しかし、「援助する側、される側」という枠を超えて、そこに関わる私達人間の心が開かれ、育っていかない限り、援助活動はその団体がその村に存在する時のみ継続します。本当の人々の変化は、一方から与えるという「援助」ではなく、双方間の「協力」があってのみ成り立つものです。「海外援助」から「国際協力」への転換です。

<ひとづくり、自分づくり>
3年前の秋。中米ニカラグアからあの「飢餓の国」とも象徴されるエチオピアへ視察にきました。乾ききった大地に群がる家畜。破れた服をまとった子供。「土地は痩せ、毎年穀物生産量は下がるし、うちの家族全員を食べさせるのがやっと…。クリニックが遠くて家族は病気がち」と苦渋に満ちた表情でメタロビ の農家達は貧困や諸問題を訴えていました。
 そして、プロジェクト が開始されて5年目の今年。活動に積極的な住民組織のリーダーは「組織で捻出したお金をもとに、地域で一番貧しい家庭の子供をサポートして学校に行かせます。」と、グループの利潤を超えて更に貧しい隣人に仕えていく姿を見せました。倉庫兼事務所、雑貨屋、共同農場、井戸、地域住民向けの識字教育、そして貧しい子供のスポンサーと彼ら自身が始めた様々な活動を通して、「諸問題の列挙」で終わっていた農民が、「自分たちに出来ること」そして「他者に対してできること」を主張し始めたのです。人々の心の中における変化はゆっくりと確実に起きています。

一方、「あなた達のサポートは不充分ですし、私達は未熟。もうすこし支援を延期したらどうでしょう」というリーダーもいました。未熟という表現は、活動を通して学びつつある私達支援団体にとっても同じです。地域の自立を考える時、「完熟」はありえません。つまりは、活動に関わる「すべての人」が成長しつつある存在なのです。しかし、自らの成長、変化へのチャレンジを止め、他人に依存した時、希望が失われます。その結果がこのリーダーの言葉に表れています。多少なりとも人々に依存心を植え付けてしまった私達外部者の、アプローチにも問題がなかったのか反省も迫られます。「プロジェクト対象者・受益者」とされるコミュニティーの人々も、そして「プロジェクト実施機関」もしくは支援団体である私達も、共に「気づき」の過程にあるのです。自分の必要を越えて他に仕えていく「ひとづくり」が私達団体のビジョンですが、それはなによりも自分自身の成長 ― 「自分づくり」 ―でもあるのです。

<自分にあるものから>
先週、エチオピア政府はあの80年代の大旱魃を凌ぐ、史上最悪の飢餓が約600万人のエチオピア人を襲っていると警告を発しました。昨年からの雨不足で農業作物が立ち枯れ。多くの政府、国際機関、NGOが緊急援助を開始しています。どうして飢餓がこの世からなくならないのか?援助に終わりはないのだろうか?どうしたら解決するのか?どこから手をつけたらいいのか?
生まれるつき歩けない男が美しの門の前で、ペテロとヨハネに何かもらえるかもと施しを求めるシーンが聖書にあります。しかし、
「…ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。…キリストの名によって、歩きなさい。」  (新約聖書:使徒3章6節)
と答え、奇跡を行い男は立ち上がって喜び踊ります。ペテロはこの男が本当に必要としているのはただの小銭ではなく、自分の足で歩くことだということを知ってただ手を差し伸べたのです。この世の価値観では、金銀、お金、権力、高度な技術がなければ問題解決は不可能とみます。ハッティの捧げた57セントでは何も建たないとあきらめます。しかし、私が希望を置く聖書の価値観は違います。今は些細なものとしか思えなくても、「わたしにあるもの…」から始まる時、私達人間の思いを超えたすばらしいことが起こります。
慢性栄養失調で苦しむ子供たちの悲惨な写真。憐れみを誘う貧しい家庭のストーリー。それを受けて、お情けから「持てる」者が「持たざる」者への恒例化した献金集め。ここからは、献金を受け取る側も、する側にも何の変化も生まれません。エチオピア農村の貧しい村の人々も、そして遠く離れた日本にいる私達にとっても、「わたしにある」小さなものからすべてが始まることに違いはありません。ここに本来の「国際協力」の意味があると言えます。
少女の持てる金銭のすべてであったであろう、あのハッティの75セント。少ない自分の利益を省みず、貧しい子供の支援をするメタロビの農民達。しかし、自分の持つものを手放した時に、国境と時代を超えて多くの人の心を打ちます。これも形を変えたひとつの国際協力です。
こんな小さな私にあるもの。そこから世界が変わり始めます。




1.メタロビ:エチオピアの首都アジスアベバから北西 120 Km、オロモ州西ショワ県のメタロビ郡。エチオピアの中央高原(標高約2500m)に位置するが、人口の多くが標高1500mの低地におり、マラリアなどの熱帯病が蔓延。近年減少傾向にある降雨量の為、穀物生産の落下、慢性的な食糧不足にも苦しむ。不衛生な飲料水、わずかな保健・医療サービス、森林伐採とそれに伴う土壌流出、栄養不良の子供達、低就学率(成人識字率16%)などの問題がある。


2. メタロビ農村自立開発プロジェクト:
1997年より飲料水と衛生教育、農林業、女性による野菜栽培・養鶏などの収入向上、住民組織・リーダー育成の 4部門を含む総合的な農村自立開発プロジェクトを現地住民・政府と共にメタロビ郡の7つの村で実施。5年の活動を経て、来年はプロジェクトの最終年度。地域発展の担い手として育ってきた村づくり委員会と地域行政機関に、すべての活動を正式に引き渡す準備をしています。




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